2011年3月31日木曜日

全快?祝い

お友達が全快祝いの食事会を開いてくれました。

実際のとこは自分では7割くらいかなあと思っています。
でも、心の壊れた感はなくなってるからやっぱり全快祝いかなあ 。

こんな日が来るなんてね。自分でも信じられません。
優しく見守って支えてくださったお友達に感謝です。
ほんとに、ありがとうございます。

なんと、夫が小さい頃走り回っていたでしょう商店街の中の隠れ家のようなイタリアンのお店でした。義父母のお店があった周辺は駐車場に変わってしまい寂しい限りですが・・・
今度は一緒に行こうね。

2011年3月28日月曜日

春休み






お仕事が終わって春休みに入りました。
さて、どんな新学期をすごすことになるでしょうか?
のんびりするもよし。かな?

被災地の方を覚え自分にできることを考えています。
夫の職場からは第3陣の支援隊が出発しました。
長くなりそうですね。
長くなると感染症なども心配です。

まずは自分自身が元気でいること。
そして、人手不足を補う夫の激務を支えることでしょうか。
がんばろう!!

2011年3月21日月曜日

お帰りなさい

夫が救援活動を終えて帰ってきました。

疲れすぎなのか、心の整理をしているのでしょう。

午前様で帰ってきたのに早朝から犬の散歩をして車を洗って・・・ひとりゆっくりと過ごしています。

昨日、病院からは第2陣が出発しました。

被災者の皆さんと支援者の心と体が守られますように。

※夫のブログ記事

2011年3月17日木曜日

ガソリンがない

せっかくの医療支援もガソリンがなくては避難所廻りは徒歩のみだそうです。

ガソリンどうにかしてください。

重油も後1日分。

患者さんどうなるんだろう。

2011年3月15日火曜日

出発しました

今朝6時。
夫は宮城県の病院に派遣されました。
よい働きをして、元気に帰ってきてください。

神様の御守りと祝福がいつも貴方とすべての救援隊、被災者の皆さんとともにありますようにお祈りしています。

待っています。

庭のクリスマスローズがピンク色に染まりました

2011年3月12日土曜日

地震と津波

つぎつぎと被害が伝わるたびに心が痛みます。

昨日は弟が東京に出張中でした。
電話もつながらず、やきもきしました。
我が家のあたりも大津波警報が出て職場では次々と幼稚園や保育所にお迎えに帰る方も出てきました。
息子からも電話をくれたようですがすぐ切れました。その後はまったく通じません。

幸運にも当地はほとんどまったく被害はありませんでしたが、阪神淡路大地震の経験や南海地震のときの大津波の記憶は父や母から聞き伝えられているしで、年長者ほどに暗い空気に包まれていたようです。

弟は歩き続けて午後10時には東京駅近辺の友人宅までたどり着けたようで一安心。

8時までには横浜や千葉の親戚にも連絡がついてまずは一安心。

ものすごい地震だったようですね。

原子炉のその後も怖いし・・・・

非難していられるかたご健康にお気をつけください。

無念にも亡くなられた方のご冥福と残されたご家族の平安をお祈りいたします。

災害がこれ以上広がりませんように。