2016年9月12日月曜日
そろそろ,お祭り
この頃になると,無性に懐かしくなるのは,母の作ってくれたボウゼの姿寿司と甘酒。
今年もボウゼのお寿司仕込みました。
保母だった母は,日曜日になると大きな大谷焼きのツボを重曹で洗って甘酒の準備をしていたよね。
木製の室蓋に入った麹が届けられると家の中にあま〜い香りが充満して幸せな気分になったわ。
母さんが,「だめよ。」と止めるのも聞かずに,毎日こっそり,そのあま〜い匂いのする麹をちょっとだけつまみ食いして学校に行ってた。
そして,麹がどんどんあま〜い香りになってきた日曜日,母さんは甘酒を仕込む。
ず〜と,私たちはお手伝いするでもなく見てたような気がするわ。
ツボの周りに毛布を巻く頃になると私の出番。
毛布で巻かれたツボをしっかり抱いていると,母さんがその周りをくるくると紐で縛った。
そして,またその上から毛布をかけて発酵を待つ。
できたかな?ま〜だまだ。
そんな,言葉を何度も繰り返して。
お祭りの頃には,あま〜い美味しい甘酒が出来上がって,前の夜に母さんが仕込んだボウゼの姿寿司が登場する。
お祭りの日には,着物を着ておめかししてお友達のお家に出かけて行くの。
母は隣町の保育所に勤めていたので,私も隣町の小学校に越境してた。だから,お祭りは2回。
ご近所のお祭りの日は,母も年休をとってくれることが多かった。小学校をお休みして,ご近所に訪問していろんな手作りのご馳走を頂いて女の子は着物姿でおままごとをする。
隣町のお祭りの日ももちろん小学校はお休みになったような気がするわ。
でも,今度は私は着物を着る余裕はなくて,ちょっとだけオシャレしてお友達のお家を訪問して回る。
こんなことって,うちの子たちは経験してないよね。
昔の人たちは町や村をあげて子どもたちを育ててたんだなあって,感心します。
この頃はハロウィンが日本でも盛んだけど,こんな身近なお祭りはどんどん縮小してる。宗教行事だから小学校もお休みにならなくなったのかなあ。
私たちの小学校も,地車のぶつかり合いで続けてお父さんたちが一人二人と亡くなってから,学校もお休みじゃなくなって,地車もゆっくり押すようになって,担い手も少なくなって。。。
今に至るって感じ。
まあ,私にとってのお祭りの楽しみは着物を着てお化粧することだったような気がするわ。
母さんの鏡台の前に座ってお化粧してもらうんだけど,うちに帰って,こっそり自分でやり直してはまた出かけて行くみたいな。この日だけはお化粧解禁日だった。
ちょっとすまして,「ごめんください。」「おじゃまします。」「ごちそうさまでした。」なんてね。玄関先で草履を直して。大人になった気分。
どこに行ってもみんなが暖かく子どもたちを迎え入れてくれる,そんな素敵な日だったわ。
あ〜,懐かしいなあ。
結婚してからは,スーパーの棚にボウゼが並ぶようになると母さんが夜,車を飛ばして甘酒とボウゼのお寿司を届けてくれた。
夫はそろそろだねって,私もそろそろだねって,二人でウキウキ待ってたわ。
母さんのお寿司が届くと,とても暖かな気分になれた。
母が家事をできなくなってしばらく遠のいていたんだけど,最近は私がかすかな記憶を元に再現してる。姿寿司じゃないし,それに,甘酒を作る気力はないんだけど。
それにしてもよく頑張ってたんだなあって,母には感心しちゃう。
忙しい毎日の中で,丁寧に子育てしてくれたんだなあってね。
母さん,ありがとう。
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