2013年6月8日土曜日

憲法9条の力


憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです。本当に憲法9条が変えられてしまったら……。僕はもう、日本国籍なんかいらないです」ときっぱり言ってくださった、中村哲さんの記事を見つけました。


日本で暮らしている人間には普段あまり実感を持てない9条ですが、本当は大事なところで私たちを守ってくれています。

海外旅行に行くと、私たちが日本人である事を知って、向こうの方がどんなに安堵されるか手に取るように分かる事がよくあります。
今までは日本人がお人好しで平和ボケしてるからかなあって、思ってたのですが、実は根っこのところで憲法9条の力に守られているのかも知れないって思うようになりました。

ましてや、アフガニスタンにいる日本人の中村さんの証言です。リアルです。
毎日新聞よりお借りしました。リンクを張ってあります。

 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇守るより実行すべきだ−−医師・中村哲さん(66)

 ◇9条はリアルで大きな力 日本人だから命拾い、何度もあった

 薄暗い会場のスクリーンに1枚の写真が映し出された。干ばつで広がる砂漠には草木一本生えていない。「この地に私たちが用水路を建設した1年後の写真がこれです」。次の写真が映し出された瞬間、会場にいる約1200人から自然と拍手が湧き起こった。
 まぶしいほどの緑、緑、緑。壇上で、ペシャワール会現地代表の中村哲さんが静かに言い添える。「この地に15万人の難民が戻ってきました」。拍手が鳴りやまない。生命力あふれる大地の写真は、どんな言葉より雄弁だ。
 茨城・土浦市民会館の2階席の片隅で、壇上の中村さんに目を凝らした。日本よりアフガニスタンにいる方がずっと長いこの人が、ことあるごとに憲法について語るのはなぜなのか。その理由を知りたいと思った。
 2時間に及ぶ講演後、別室で話を聞いた。アフガニスタンでは丸い帽子がトレードマークなのに、この日はネクタイにスーツ姿。「保護色です」とちゃめっ気たっぷりの中村さん。「日本じゃスーツを着ておけば、街にいても目立ちませんからね」
 でも、微妙に似合っていないかも。両手の甲が驚くほど日焼けしている。帰国直前まで重機を運転していたというこの両手、いったい何人の命を救ってきたのだろう。
 1984年から最初はパキスタンのハンセン病の病棟で、後にアフガニスタンの山岳の無医村でも医療支援活動を始めた。2000年、干ばつが顕在化したアフガニスタンで「清潔な飲料水と食べ物さえあれば8、9割の人が死なずに済んだ」と、白衣と聴診器を捨て、飲料水とかんがい用の井戸掘りに着手。03年からは「100の診療所より1本の用水路」と、大干ばつで砂漠化した大地でのかんがい用水路建設に乗り出した。パキスタン国境に近いアフガニスタン東部でこれまでに完成した用水路は全長25・5キロ。75万本の木々を植え、3500ヘクタールの耕作地をよみがえらせ、約15万人が暮らせる農地を回復した。総工費16億円は募金でまかなった。
「僕と憲法9条は同い年。生まれて66年」。冗談を交えつつ始めた憲法談議だったが核心に及ぶと語調を強めた。「憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣……。国益のためなら武力行使もやむなし、それが正常な国家だなどと政治家は言う。これまで本気で守ろうとしなかった憲法を変えようだなんて。私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と」
 「実行」という言葉を耳にした瞬間、あざやかな緑の大地の写真が脳裏によみがえった。理想は実行された時、あんなにも力強く人の胸に迫るのだ。
 01年米同時多発テロ後の米英軍の爆撃以降、アフガニスタンでは外国人への憎悪は募るばかりだ。治安が急速に悪化した08年、仲間の日本人男性スタッフが殺害された。政治的な誘拐ではなく金銭目的だった。地域住民は必死に犯人グループから男性を救出しようとしたが、かなわなかった。外国人をターゲットにした誘拐や襲撃は今も増える一方だが、その後、仲間が狙われたことは一度もない。それでも念のため、一時は25人いた日本人スタッフを帰国させ、今は事務職員と2人だけ。現場に出る日本人は中村さん一人だ。
 日本のニュースはもっぱらインターネットで読む。「日本はどうなっているのか」といら立つことが増えた。「この干ばつは戦争どころじゃない。一人でも多く生きて冬を越せるように」と危険な作業に挑み、政府軍と反政府軍の衝突と聞けば工事中の用水路をざんごう代わりに隠れる、そんな厳しい日常から見る祖国の改憲論は「どこか作り物くさい。政治力をアピールしたいだけの芝居のように見える」。
 ならば、中村さんにとって憲法はリアルな存在なのか。身を乗り出し、大きくうなずいた。「欧米人が何人殺された、なんてニュースを聞くたびに思う。なぜその銃口が我々に向けられないのか。どんな山奥のアフガニスタン人でも、広島・長崎の原爆投下を知っている。その後の復興も。一方で、英国やソ連を撃退した経験から『羽振りの良い国は必ず戦争する』と身に染みている。だから『日本は一度の戦争もせずに戦後復興を成し遂げた』と思ってくれている。他国に攻め入らない国の国民であることがどれほど心強いか。アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」
社会主義者でありながら愛国主義者で儒教的な道徳を重んじた父から幼い頃、論語を読まされた。意味も分からず繰り返し唱えた倫理は、後にキリスト教徒となった今も心にある。イスラム教徒たちに囲まれて暮らした29年間でたどりついたのは「宗教は異なっても人が生きる上での倫理はそう変わらない」という実感だ。「道徳や倫理は完璧に守れるものではない。何とか守り、実行しようと努力することが人間を大きな誤りから押しとどめてきた。憲法も同じ。倫理を多数決で変えようなんて筋違い」
 救おうとしてもなお、干ばつ、病気、戦闘で人の命が失われていく国にいるからこそ、日本にいる人より、憲法をリアルに感じられるのかもしれない。
 あなたにとって9条は、と尋ねたら、中村さんは考え込んだ後、「天皇陛下と同様、これがなくては日本だと言えない。近代の歴史を背負う金字塔。しかし同時に『お位牌(いはい)』でもある。私も親類縁者が随分と戦争で死にましたから、一時帰国し、墓参りに行くたびに思うんです。平和憲法は戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の位牌だ、と」。
 窓の外は薄暗い。最後に尋ねた。もしも9条が「改正」されたらどうしますか? 「ちっぽけな国益をカサに軍服を着た自衛隊がアフガニスタンの農村に現れたら、住民の敵意を買います。日本に逃げ帰るのか、あるいは国籍を捨てて、村の人と一緒に仕事を続けるか」。長いため息を一つ。それから静かに淡々と言い添えた。
 「本当に憲法9条が変えられてしまったら……。僕はもう、日本国籍なんかいらないです」。悲しげだけど、揺るがない一言だった。【小国綾子】

◇なかむら・てつ

 福岡県生まれ。九州大医学部卒。ペシャワール会現地代表。ピース・ジャパン・メディカル・サービス総院長。2003年マグサイサイ賞。アフガニスタンで1万6500ヘクタールの農地復活を目指す「緑の大地計画」に尽力中。

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