2008年1月9日水曜日

ナイスでいきましょう

昨年の末、森田ゆりさんの「アサーティブネス研修」を受講しました。
今回も研修での収穫はたくさんありましたが、今の私に必要なことは自分の内側に心を向けて自分と対話することだと思いました。
心は自分の内側にあるものなのに何故?って感じですが、とても大切なことのようです。
アサーティブネスは相手も自分も尊重して自分の気持ちを伝えること。
数人の方たちから大切なお気持ちを聞かせていただいて、実は私自身をよく知らないことに気付きました。
いろんな縛りにとらわれて家族や自分の心を傷つけていることにも気付きました。
怒りの仮面についてもお話しを伺いましたが、実際自分の内側に向き合うのはとても勇気のいる辛いことです。
まずはゆっくり自分と向き合って対話をしていこうと思うのです。

ところで、研修の中で森田さんが昨年91歳で亡くなられたお父様森田宗一さんのとっておきのお話「ナイスは生きている」を紹介してくださいました。

 宗一さんが子どもの頃、村の魚屋さんに小僧さんがいました。
小僧さんは野球が好きでいつも子どもたちと遊んでくれました。
時には野球だけでなくお寺の庭でいろんな話をしてくれたりしました。
小僧さんは、野球の時はいつも双方のチームの捕手をしてくれて投手が変な球を投げても、うまくとって「ナイス」
低い球を投げても、すくいあげて「ナイス」
滑り込んで盗塁失敗しても「ナイス」
転んでアウトになっても「すべりっぷりナイス」
本当のストライクの球を投げると「ナイス、ナイス、ナイス」とおまけをくれました。
 そんなわけで小僧さんはナイスと呼ばれるようになりました。
 ある日、宗一さんはかねてから準備していたとっておきの出し物をしたらナイスは非常に喜んで「ナイス、ナイス、ナイス、ナイス・・・」と、うんと褒めてくれました。
 宗一さんはナイスの思い出に慰められ励まされ生きてこられました。
後に、機会あってナイスを知る子どもたちや近所のひとたちに会いナイスは自分だけのものではなくみんなのナイスであるということを知ります。
それぞれの心の中で、大人になってもナイスは生き続けていたのです。・・・(一部本文抜粋)

 森田ゆりさんはこの本を「昭和24年家庭裁判所創設以来一貫して少年審判の判事として非行少年に寄り添うことに情熱をかけた父の原点は、子ども時代のナイスとの出会いにありました。」と紹介されておられます。
 私は森田ゆりさんの生きかたの中にもナイスは生きていることを感じました。
もし、私も子どもの頃ナイスに出会えていたら・・・と考えてみました。
そして、私がこれから出会う子どもたちの心の中でいつまでも「ナイス、ナイス」と慰め励まし続ける、ナイスになりたいと思いました。
誰かのナイスになりたいと思います。
ナイスでいきましょう。
  
※この本については、
http://web.mac.com/donguri8/iWeb/Site%206/A9D29A3D-5459-404B-BCB8-41C39E686976.htmlをご覧ください。



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